阿智村

更新 2019/6/12 10:06

昼神温泉郷のあらまし ひるがみおんせんきょうのあらまし

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昼神温泉郷ひるがみおんせんきょう(長野県下伊那郡阿智村)は、南信州の山あいに豊富なお湯が湧く静かな温泉地です。約20軒の温泉ホテル・温泉旅館が立ち並び、周囲は豊かな自然に恵まれて、古代東山道に遡る史跡が多く点在する歴史の里でもあります。

地名の由来

「昼神」の名とヤマトタケル「昼神」の地名の由来は古く日本神話の時代にさかのぼります。『日本書紀』によれば、第12代景行天皇の皇子日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は、天皇から東方の蛮族を討伐を命じられ、天叢雲剣を武器に東国諸国を遠征し、信濃国に入りました。そして「信濃坂」(現在の神坂峠)を通ったときに荒ぶる山の神が白い鹿の姿となって立ちはだかったため、尊は噛んでいた蒜(野ビル=ニンニク)を鹿の目に投げつけてこれを倒しました。するとたちまち道に迷ってしまいましたが、どこからか現れた白犬に導かれて峠を越えることができました(『古事記』によると、このエピソードは足柄坂(神奈川・静岡境)の出来事とされています)。 「昼神」の地名はこの「蒜噛み」に由来するといわれています。この神話にちなみ、地元では「昼神にんにく」のブランドでニンニク栽培に取り組んでおり、ニンニクを使った「昼神うどん」など、新しい名物も誕生しています。 神坂峠は古代東山道のなかで最大の難所として知られました。頂上では石で模造した鏡、剣、勾玉などが出土しており、これは古代の旅人が荒ぶる峠の神に捧げて旅の安全を祈ったものと思われます。


昼神温泉郷全景

阿知川

足湯

昭和51年の湯の瀬地籍


阿智村昼神には昔から「湯の瀬」「湯の洞」などの地名がありました。約250年前の書物「伊那郡郷村鑑」にも「近世温泉湧出して近郊の人湯治す」との記述があります。

昼神温泉誕生と幻の中津川線

昭和40年代、旧国鉄は飯田線飯田駅と中央本線中津川駅を結ぶ「中津川線」建設に着手していました。阿智村昼神はその沿線で、「昼神駅」も建設される計画となっていました。

5号井の掘削工事 平成19年


昭和48年(1973年)1月、「神坂トンネル」の掘削工事中、昼神湯ノ瀬地籍で水抜きボーリングを行なっている最中に、温泉が湧き出しました。これがいまの昼神温泉の始まりです。 同年11月には湯の洞地籍で試掘を開始。深さ約40メートルの地下から源泉温度32.5℃、毎分200リットルの温泉が湧出しました(第1号井)。 以降、少しずつ源泉井戸が開発され、平成19年に掘削された第5号井は、地下1200mから55.4℃の源泉を汲み上げています。

恵那山トンネル


昭和50年には当時日本最長のトンネル「恵那山トンネル」が開通し、中央自動車道が開通。中京方面からのアクセスに優れた昼神温泉は一躍脚光を浴びるようになったのです。 一方、温泉誕生のきっかけをもたらした国鉄中津川線は、中央自動車道開通の余波を受けて工事を中断、そのまま完成することなく計画は頓挫しました。その工事跡は現在も沿線各地に残っています。昼神駅予定地は現在「国民年金保養センターひるがみ」が建つ付近でした。

昼神温泉郷は中央自動車道園原インター(名古屋方面のみ利用可)を降りて車で約10分、東京方面からなら飯田山本インターを降りて約15分。峠を越えれば信州南木曽や岐阜県中津川にもほど近い位置にあり、アクセスの良さから中京方面の観光客に根強い人気があります。
清らかな阿知川あちがわ沿いの小さな盆地に大小の宿泊施設が立ち並び、川岸には桜並木、道路添いにはハナモモなどが植えられて、四季それぞれに彩りを添えています。
お湯は無色透明で、泉質はアルカリ性単純硫黄泉(ph値9.7)およびアルカリ性単純温泉。お湯の肌触りがツルツルしているのが特長です。アルカリ性のお湯は肌を柔らかくし、皮膚表面の脂と反応して石鹸のような働きをするため、「美人の湯」とされています。
●浴用効果/リウマチ性疾患・運動障害・しもやけ・創傷・糖尿病・月経異常など。
●飲用効果/糖尿病・痛風及び尿酸素質性中毒症・慢性便秘・リウマチ性疾患・慢性気管支炎など。


冬の昼神温泉

基本情報

所在地 長野県下伊那郡阿智村智里
最寄りの駅 JR飯田線 飯田駅より信南交通バスで約40分
最寄りのインター 中央自動車道飯田山本ICより約10分
園原ICより約10分
(園原ICは名古屋方面のみ利用可能)
URL
http://www.hirugamionsen.jp/
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